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福岡市中央区, 福岡県, Japan
ArtShirts-Factory(アートシャツファクトリー) :アートシャツファクトリー福岡 ライフスタイルに合ったオンリーワンウェアを提案/工房/SHOP/ 福岡オリジナルTシャツ.ウェア製作 ローカルアパレルブランド サポート販売 シルクスクリーンプリント  ダイレクトインクジェットプリント 刺繍 カッティング DIY シルクスクリーンセルフプリント 〒810-0005 福岡県福岡市中央区清川2丁目1番21号若鶴マンション1階 LASSIC1A TEL/FAX:092-516-6600 mail:info@artshirts-factory.com ●HP:artshirts-factory.com ●FB:https://www.facebook.com/ArtshirtsFactory/ ●ARTSHIRTS-FACTORY WEB GALLERY  http://artshirts-factory.tumblr.com/

シルクスクリーンについて

シルクスクリーンについて


 ポップな表現からエッジのきいたシャープなデザイン画、味のある作品も作れ、紙以外のものにも刷ることができるオールマイティな版画です。

 孔版画は、一般的にシルクスクリーンやステンシルといった型枠の原理を利用した版画をさします。

つまり、版になる面に孔をあけ、そこをインクが落ちるような状態をつくるのです。シルクスクリーンは、たくさんの小さな孔があいているシルクやテトロンといった素材を版にします。


様々な技法によって、その孔を絵柄や模様の部分だけを残して、インクが通らないように目止めします。原紙という紙のようなものを図柄だけを切り抜いてそのままスクリーンに貼ったり、光に当てると水には溶けなくなる乳剤を塗って、絵以外を光りに当て、絵を水で洗い落とす方法などもあります。
(アンディ・ウォーホルは、この技法で現代美術に名を残したといっても良いかも知れません。)

他にも、シルクスクリーンには様々な方法があり、それぞれ独特の表現ができます。


ウォーホルは映画においても動かぬものを延々と撮り続け、“イメージの反復”によってイメージを消し去ろうとしました。1965年からは“芸術家廃業宣言”をして映画制作に没頭しました。

【「ファクトリー(工場)」と呼ばれたスタジオで大量生産】
「私は機械でありたいと思う 機械のように絵を描きたい」    ウォーホル
1963年助手を雇い入れ、工場で大量生産するように絵画を制作。工場生産のように流れ作業で次々と美術作品を作り出しました。ファクトリーはそのうちに麻薬中毒者、性倒錯者、同性愛者が集まるようになり、1976年には、出入りしていた精神異常の女優に銃で撃たれて、瀕死の重傷を負ってしまいます。

ファクトリーのウォーホル 1964~65年頃 ウーゴ・ミュラス撮影
ウーゴ・ミュラス1964~65年_convert_20100219093836

ファクトリーでの仕事の風景
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【コピーのコピー】
マスメディアによって再現されたイメージをさらにイメージ化

《16のジャッキーの肖像》1964年
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暗殺前後の写真を組み合わせた作品

《ジャッキー》1964年
ジャッキー1964年_convert_20100219100413


大統領が暗殺された日に、専用機の中で撮られた写真を借用し反復。写真の粒子の粗さによる不鮮明さが、ジャクリーンの悲劇的な雰囲気を強くしています。

ジャクリーン → ジャクリーンの写真 → 写真をコピーして掲載した新聞・雑誌 → コピーされた写真をコピー
既にメディアによって流され誰でもよく知っている既成のイメージを作品に転用し、新しいイメージに作り変える。

《リズ・緑》1963年 
リズ(緑)・1963年_convert_20100219005541

《エルビスⅠ・Ⅱ》1964年
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【テーマ「死」】

1963年ウォーホルは、自動車事故・自殺・墜落・人種暴動・電気椅子など死がイメージされる写真を用いてイメージの反復による「惨劇」シリーズを描き始めた。死と結びついた惨たらしい情景の繰り返しはそのイメージを薄れさせ、作品から死にまつわる恐怖や不安が消されていく。

《惨劇》1963年  電気椅子
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《緑色の惨事10回》1963年 
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【微妙に異なる反復】

刷りムラ、版のズレが生みだす絵画的な効果  
シルク・スクリーンによってイメージが機械的に反復されていますが、インクの濃い薄いによる刷りムラや版のズレが作為的に作られて反復が微妙に異なっています。ウォーホルは借用した写真の露出を濃く焼き込んだり、ムラやズレなどの偶然性を取り込むことで画面に変化をつけ、作品の絵画的な効果を高めています。

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アスレチックウェア(運動着)の世界




コットンTシャツがアンダーウェアとして広まったのは1920年代後半からと考えられていて、
同じ頃、カレッジ(大学)などでは、アスレチックウェア(運動着)の需要が増えていき
独自の進化、発展をしていきました。

それまでの運動着といえば、肉厚なウール素材が使われたものばかりでした。

暑かっただろうと思いますが、正装に比べればだいぶマシですね。

スウェットではメルトン生地のような圧縮したウール素材のものが多く、タンクトップやTシャツなどはニット編み(リブ編み)ボディが多かったようです。


1930年代に入ると、そんなアスレチックウェアにある変化が起きました。それまで主流だったウール素材からこコットン素材に移行し始めたのです。さらには当時から盛んだったスイミングやボートクラブのウェアなど、保温性も必要な「水」に関連するアスレチックウェアも徐々にコットンへと変わっていきました。
この時に大流行したボーダー柄は水着の世界にも大きな影響を与えました。

そんな1930年代終わり、大学にコットンTシャツをアスレチックウェアとして販売していたチャンピオン社に、米海軍から「訓練用に表裏のカラーが異なるリバーシブル仕様のTシャツを作ってほしい」と依頼がきました。

こうして現在ではファッションの定番アイテムとなっているリバーシブルTシャツが生まれたと言われています。
その第一号は、米海軍のチームカラーであるネイビー×イエローゴールドでした。


綿の歴史

綿の歴史

綿は、五千年以上も前から 人類に親しまれている植物繊維のひとつ。元々原産はインドですが、アラビア商人が西方へと伝え、イタリア、スペイン経由してヨーロッパ各地に広がりました。
日本には平安朝初期に中国から貢物として贈られてきたものが始まりといわれています。
綿花は現在、世界のおよそ90か国で栽培されています。「コットン」とひとくちにいっても、その産地、品種、栽培方法などによって「個性」はさまざまです。


現在日本における衣料用繊維の 消費量の約40%を占めています。
アメリカでは、「アップランド綿」と呼ばれる品種が、圧倒的な量で生産され、アメリカ綿のいわば代名詞ともなっています。

日本には、カリフォルニア州でとれるアップランド綿がたくさん輸入されており、繊維強度にすぐれているので、高級ニット用として好評です。
このほか、繊維の長いものでは、エジプト綿に似た高品質をもっている「スーピマ綿」も生産されています。

最近では、アメリカ産のオーガニックコットン(無農薬栽培)なども人気を集めています。
エコロジー素材として、「カラードコットン」が注目されています。カラードコットンとは有色綿、つまり、綿花そのものに色がついていて、その自然の色をそのまま生かして作った素材のことです。
色合いが自然でやさしく、美しいこの綿は、アメリカでもっとも多く生産されているアップランド綿を品種改良したものです。これも、「オーガニックコットン」を生み出したサリー・フォックス女史の手によります。
綿の構造
綿繊維は種子の表皮細胞が成長したものです。綿の草木が成長して花が咲き、白い花がピンクから赤色に変化して、開花後1~2日ほどで落ちます。その後、中に種子を含んだ子房が膨らんできます。この種子の表皮細胞が成長して、綿の繊維を作り出します。繊維を内部に含んだものをコットン・ボールと呼んでおり、繊維が水分を失い乾燥すると、コットン・ボール表面の表皮が剥がれて表面に顔を出します。

コットン・ボール外観
コットンボール外観
一つの種子からは無数の綿繊維が伸びており、綿繊維1本の成長と構造に焦点を当ててみますと、開花後、種子の表皮細胞が上へ伸びていく時期があり、これを伸長成長と呼びます。よく伸びた繊維と短い繊維とに分かれますが、よく伸びた繊維を”リント”、短い繊維を”リンタ”と称します。リントは更に細胞壁の肥厚成長と呼ばれる厚さ方向への成長を重ねます。このリントが綿繊維として重要な役割を果たしていくもので、多くは紡績用の繊維として織物、ニットなどに利用されます。リンタは再生繊維であるキュプラレーヨンの原料として利用されます。

綿繊維の構造図
綿繊維の構造図
第1次細胞膜はセルロース分子鎖の束(ミクロフィブリル)で構成されており、環状構造となっています。第2次細胞膜はらせん構造になっており、ルーメン(内腔)と呼ばれる中空構造になっています。
綿繊維は長さ方向に対して天然の撚り(ねじれ)を持っているが特徴で強度を増加させる役割を、中空構造は吸水性、保温性などを与える役割を果たしています。また、偏平な構造をとっていることも特徴の一つです。
綿繊維の表面(電子顕微鏡)
電子顕微鏡写真
きわめて微細な繊維である綿繊維は非常に吸湿性が高く、そのため、コットンの内側と外側に温度の差ができると、内側の水分を吸いとって、これを外側へと発散しようとする性質があります。

その際、気化熱を奪うため、全体の温度が下がり、「すずしさ」をもたらし、また、通気性もよいので、暑い季節にさわやかに着ることができます。

コットンが冬にあたたかいのは繊維の構造によるもので、ウエアの保温性は布地が含んでいる空気の量によって決まりますが、コットンは繊維の中心部がマカロニのように「”中空”(空洞)になっていて、熱伝導率が低く、熱が放出されにくいのが特徴です。

また、天然の撚りがあるので、ふっくらと、空気をたっぷり含んだ織物やニットを作ることができます。つまり、布地を起毛(毛羽を立てること) したり、パイルを立てたりすることで、繊維内にふんわりと空気を含ませれば、夏にすずしいコットンも、冬にはあたたかく着られるというわけです
綿の種類


超長・長繊維
(28.6~38.1mm)
中繊維
(22.2~27.8mm)
短繊維
(20.6mm以下)

バルバデンセ(学名)
アップランド綿
デシ綿



・エジプト綿
(ギザ45、ギザ70)
・スーダン綿
(VS、バカラット)
・ペルー綿(ピマ)
・インド綿
(DC32、スピン)
・アメリカ産スーピマ綿
・中国綿
(新疆長繊維綿、西域綿)
・英領西インド諸島
 シーアイランド綿 
(海島綿)
・旧ソ連綿
(ソ連長繊維綿)
・アメリカ綿
(スーピマ綿を除く)
・旧ソ連綿
(ソ連長繊維綿を除く)
・オーストラリア綿
・中国綿
(新疆長繊維綿、西域綿を除く)
・その他
(ニカラグア、西アフリカ、ルサルバドル、シリア、トルコ、ブラジル、パキスタンなど世界各地で産出)
・インド綿
(ベンゴール・デシ、オムラなど)

・パキスタン綿(デシ)

稀少品のため、高級衣料素材。 シルクのような風合い。世界の綿の90%を占め、ほとんど の衣料用素材として使用。ネル、キャンバス、ふとんわた、 脱脂綿など。
綿の特性
肌ざわりが良い 
   繊維の先端が丸みを帯びており、柔らかく、肌ざわりが良い。

涼しい 
   水分を吸収・発散するため、さらっとした肌ざわりが得られる。

しっかり染まり、発色性に富む    染色性が非常に良好でしっかりと色が付く。 逆に染みも出来やすい。

白化しやすい 
   着用や洗濯など摩擦によって毛羽立つため、白化しやすい。

縮みやすい 
   中空繊維のため、水分を多量に含むと、その分体積が増え膨張する。乾燥すると繊維が以前より縮んでしまう。

水、アルカリに強い  
   水に濡れると15%~20%強度UP。また、石鹸や洗剤などのアルカリ性洗剤にも耐える。
利用用途
綿は、大変良好な吸水特性を生かして、タオルやTシャツなど水分を吸収させるための素材として多く使用されております。

綿糸は、多量に供給されているために価格的にも安定しているため、多くの服(ニット製品、織物製品)等に使用されており、代表的にジーンズなどがあります。

最近では、 オーガニック・コットン(有機栽培綿)を使用した、女性用生理用品や子供用の衣類などがあります。
呼び方(番手)
綿番手・綿糸1ポンド(約453.6Kg)で長さが840ヤード(約768.1m)あるものを1番手とする。

綿番手は「20/1」などと記載し、1は撚りの本数、20は綿番手となっている。

1本よりは単糸(たんし)、2本よりは双糸(そうし)と読んでおり、「20/1」だと「綿番のにまるたん」と読んでいる。

製造方法
綿糸・コットン
綿は、ハイビスカスや芙蓉(ふよう)と同じ薬科の植物で、高さ1メートル前後の1年草です。
主として熱帯地方に座します。種薪きから収穫までは、約4か月から6か月かかります。
美しい鮮やかな花が開き、実となったあと、子房(しぼう)が成長して、先端部分にやや尖った直径3センチの球状のものができます。これが「コットンボール」です。
コットンボールの内部は3~5室に分かれていて、各室に綿毛がぎつしり詰まった種が7~9個人っています。成熟すると、各室の境目が裂けて、なかから白い綿花をはき出します。「綿花」といっても、種子毛ですが、ばっと開いた状態が花のように見えるので、こう呼ばれています。
コットンボールから出てきた綿花は、水分を失い、平べったくて、よじれたリボン状の繊維となります。
長さは2~4センチ、太さは10分の1ミリほどです。ただ、繊維の長さ・太さは品種によって異なります。
オーガニックコットン
化学肥料、除虫剤、枯葉剤などの化学薬品をいっさい使わずに、有機栽培された綿のことで、自然のままの素材がアレルギー体質の人やベビー用品に対して人気があります。
カラードコットン
カラード・コットンは通常の綿とくらべて、品質的にほとんど差はないのですが、あえていえば、通常の綿は精練、漂白、染色の工程を経て綿布が染色されるのに対し、カラードコットンは既に自然の着色がされており、漂白、染色の工程が省かれるので繊維が薬品による化学作用を受けることがなく、強度低下の心配がありません。
色は綿花そのもののブラウン系、グリーン系など2~3色に限定されます。もちろん、色の異なる綿花を組み合わせて、ストライプ、霜降り調、3色使いしたものなど、柄のバリエーションを楽しむことはできます。
カラードコットンは漂白、染色の工程は省かれますが、生地についている不純物をとりのぞく精練と、生地の風合いを整える仕上げのプロセスは必要です。
通常のコットンは、カセイソーダなどのアルカリ精練を行なっていますが、カラード・コットンは、食べても大丈夫な消化剤を使っています。仕上げも、可食柔軟剤が使われます。それだけ、「エコロジー」という点を意識しているのです。
染色に関する事項
綿は染色性が大変良好な繊維です。通常は、反応性染料で染色を行いますが、色合いや自然色を楽しむために、天然の染料を使用したものも最近では見受けられます。
一般に用いられる染料
  • 直接
  • バット
  • 媒染
  • 塩基性
  • 反応性
  • 天然染料
オーガニックコットンは、天然ハーブなどを利用して染色を行います。
天然染料などの堅牢度は、通常の染色耐久性より落ちますが、自然の成分を使用するため人にやさしい綿糸に仕上がります。

http://www.marusyosangyo.jp/kawariito/cotton.htm

アンダーウェアー(下着)からはじまった Tシャツの歴史

日常で今や無くてはならない存在となったTシャツ。

両袖を左右に広げた時にTの文字に見えるため命名されたTシャツ。

お世話になったことが無い!という人は日本にはいないと思いますが
Tシャツの歴史はまだ100年前後なのです!

衣類や衣服の歴史はかなり古いですが、意外ですよね?

しかも
コットン素材のTシャツといえば、アメリカが発祥の地というイメージですが
実は19世紀のヨーロッパで生まれたという説が有力とされています。

それまではウール素材が主流でした。スウェット生地のように肉厚で下着には向かないですよね。

大きな発明ですが日用品からか正確な資料がないため詳細は不明だそうです。

もともと欧米社会では、外で肌を大きく露出することは好ましくなくて、
Tシャツ=下着であり50年代までは半袖で外を歩くこと自体が稀だったそうです。


アメリカでコットン素材のTシャツが一般市場に登場したのは1920年代半ば以降と考えられる。
20年代までのアメリカでは下着といえば、手首から足首まで覆うスーツタイプの全身一体型が一般的なアンダーウェアーの姿だった。

例えば、ももひき+ラクダシャツの一体型とはかなりイナタイですよね。




一般に浸透するちょっと前、オリンピック選手とアメリカ海軍がコットンTシャツを最も早く取り入れたという説もある。
当時も今も最先端の技術をとりいれるのは国の威信を賭けた戦いであるので有力である。



とは言うものの、アンダーウェアー・アスレッチックウェアとしてのTシャツは浸透していきます。


コットンの下着として労働者に広まったTシャツ。

現在のTシャツとほぼ変わらない質感のコットンTシャツが一般大衆に広まったのは
1930年代になってからで、ワンダーウェアとして特に労働階級の人たちの間で着用されるようになった。

理由はそれまでウールなどに比べてコットン天竺特有の肌触りと伸縮性、そして吸水性に優れていたためと思われる。

中にはフライス生地(ニットと同じリブ編みを使った)Tシャツも多かった。


この時代のTシャツでカレッジ物以外でプリントされているモノはほとんどない。
それはインナーだったからであろう。





Tシャツの歴史の一遍2

アートの大衆化に導いた/現代アートとTシャツ

現代アートの発展は、Tシャツによって為されたといったら言いすぎでしょうか。 アーティスト達は、ひどく難しい、そして彼らにとって受け入れがたい“鑑定”を受けるクラシカルアートの規律からの開放を望んでいました。 ポスターよりも、生身のTシャツは、自分たちの作品をより多くの人にアピールする存在として、 モダンアーティストの格好のキャンバスとなりました。Tシャツにはきゅうくつさがなく、動くことに自由でいられます。 実際、作業をするアトリエでも、多くのアーティストがTシャツを作業着として愛用していたそうです。

中でもアメリカの大衆文化を象徴するポップアートにとって、Tシャツの胸元はポップアートがポップであるがための必然的な芸術表現の場となりました。 70年代アーティスト達はこぞってTシャツを作品発表の道具として使い始めます。 カウンターカルチャーの寵児にしてアメリカン・アングラ・コミックの大巨匠ロバート・クラムは、自分の描いたヒッピーのキャラクターをTシャツにプリントしました。 80年代、キース・ヘリングは自身の店「ポップ・ショップ」をオープンし、Tシャツをはじめとする雑貨にキャラクター作品をプリントし、販売していました。 90年代には村上隆が日本のアニメやマンガをモチーフとしたキャラクター作品をTシャツなどで販売することで、ポップアートを継承しました。 Tシャツの持つカジュアルで縛られない、ユニークな個人を象徴するアイデンティティが、現代アートと結びついたことは必然と言えるでしょう。

ファッションとTシャツ

最初にTシャツがモード界でベーシックアイテムとして登場したのは1960年代。 さまざまなデザイナーズブランドがTシャツを発表するようになっていきました。 しかし、ファッション界が本格的にTシャツを取り入れたのは、1970年代に入ってからになります。 70年代前半のヒッピー達による「ラブ&ピース」運動や、70年代後半のパンクムーブメントなど、 自由を求める思想とTシャツが見事にマッチしたのです。人々の態度やライフスタイルの変化に敏感なファッション界が、Tシャツを重要なアイテムとして認知した時代です。

80年代のファッションがよりスポーティに移行すると、多くのブランドがスポーツウェアに力を入れ始め、 ブランドの力でTシャツもファッショナブルな存在となっていきました。 メンズの枠を超え、Tシャツを多くの女性達が着こなすようになったのもこの時代です。 90年代に入ると、80年代で興った様々な変化がさらに混合されてゆきます。 カジュアルに着こなされていたTシャツに、ジョルジオ・アルマーニや山本耀司らにより、スーツにTシャツを合わせるミニマル・ファッションスタイルが提案されました。 環境問題やリサイクルへの関心も高まり、オーガニック綿を利用したTシャツが登場したのもこの時代です。

音楽とTシャツ/ロックを表現した黒いカラー

音楽におけるロックシーンを語る上で、ブラックTシャツをはずすことはできません。 1950年頃、エルビスプレスリーはジャケットを脱ぎ、Tシャツで唄いました。それまでのミュージシャンが来ていた正装を脱ぎ捨てたときです。 ビートルズも、初期の頃はリバプールのクラブで黒いレザーとTシャツで演奏していました。 60年代の終わりにTシャツは大西洋を越え、黒い柄に骸骨やクロスボーンなどの刺激的な柄が描かれたTシャツは、ロックバンドのシンボルとなっていきました。 アメリカの西海岸から誕生したロックコンサートのほとんどをプロデュースしていたビル・グラハムは、「黒はロックの色だ。最初に黒を使ったのはわれわれだ」と言ったそうです。

そうしたミュージックシーンでのハードロックの広がりは、Tシャツの商業価値を拡大させていきました。 セックス・ピストルズの伝説的なベーシスト、シド・ヴィシャスが当時着用していた「Anarchy」の文字が入った歴史的なTシャツは6000ドルの値がつきました。 1980年代には、メッセージの書かれたTシャツが、アルバム自体のセールスを上回る勢いを見せました。 小さなプリントショップからはじまったこのビジネスは、やがて産業へと進化し、Tシャツの売上げで年間1000万ドルを超えていきました。 1995年のローリングストーンズのツアー(450万人の動員を果たした)では、グッズの販売総額は7000万ドルに昇り、そのうちTシャツの売り上げが75%を占めたそうです。

生活シーンにおけるTシャツ/そしてプリント技術

1998年、ノヴァ・デヴェロップメント社は、PCを使って自分でTシャツをデザインできるキットを開発しました。 3000種類の既成のデザイン、2万種類の画像転写シートをセットにし、あっという間にプロ並みの仕事ができるこのキットは、生活者の心をつかみました。

プリント技術とデジタル化の発展により、誰もがプリントTシャツを手軽に作れるようになり、カスタムメイドTシャツが盛んに作られるようになりました。 こうした流れが、イベントTシャツの誕生を促しました。DJのライブのため。映画やアニメのプロモーション媒体として。音楽フェスティバルの記念品として。 ショップの開店記念として。高校や大学の文化祭で。仲間同士のコミュニケーションの道具としても、ビジネスやエンターテイメントとしても、幅広く利用され、 プリンタブルウェアとしてのTシャツは、生活者の毎日に溶け込んでいます。
自由で、カジュアルで、シンプル。そして、いつも新しい。 だからこそTシャツは、これからもプリンタブルウェアの原点としてあり続けることでしょう。
by

Printable Lab.

Tシャツの歴史の一遍

アートとして、自分の主張を掲げるメッセージとして、企業や商品の広告として、そしてもちろんファッションに。 Tシャツは、さまざまな顔を持っています。皮膚に一番近い存在で、伸縮性がよく、動きやすい。誰にでも受け入れられやすい、シンプルな普遍性。 だからこそ、時代を超え、世界でもっとも愛されているのだと思います。
スポーツウェアとしてTシャツが誕生したのは、1920年頃と言われています。 そのTシャツが、もともとはアメリカ海軍からはじまったことはご存知でしょうか。 トムスのプリンタブルウェアビジネスがTシャツから始まったように、Tシャツとプリンタブルは切っても切り離せません。 ここではみなさんに、プリンタブルウェアの原点であるTシャツの歴史の一遍を、ご紹介しましょう。


Tシャツの起源/Tシャツを着た英雄

Tシャツは、アメリカ海軍の船内で、船乗りたちに下着として愛用されたことがはじまりと言われています。 白いフレアズボンとともに、白い肌着が、船内で重労働を行なう上で最適な服でした。軽く、動きやすく、そして洗えば短時間で乾く。 着替えも簡単。タオルにも使え、ときには白旗にもなる。その機能性の高さが船乗り達の心をつかんだのです。
世界を航海し、戦った海軍の船乗りたちは、アメリカ人にとってのヒーローでした。 自由で、独立心旺盛で、勇気があって賢い。退役し、陸に上がった英雄たちは、その太くたくましい腕をTシャツの袖から覗かせて街中を凱旋したのです。 その健康的なエロティシズムを感じさせる姿に、階級を問わず、アメリカ人の憧れを感じていました。 そうして第一次世界大戦中の1930年頃、下着製造会社だったヘインズ社がそれをコブ・シャツ(水兵シャツ)と名付け、販売を開始。 これがスポーツやレジャーのためだけにデザインされた“Tシャツ”の起源と言われています。

アンダーシャツからアウターへ/映画の中のTシャツ

第二次世界大戦後、強いアメリカの象徴として、陸に上がった船乗りたちが広めたTシャツは、 やがて下着からアウターへと認知されていきました。それは、ジーンズとともに労働者たちのユニフォームとなったのです。 Tシャツがブームとなったのは、1950年代の中頃のこと。敏感に反応したのは、自由を求め、自分自身を表現するアイデンティティを求めたティーンエイジャーたち。 そして、彼らのカリスマとなったハリウッド・スターたちでした。

ジェームス・ディーンが「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」で。 マーロン・ブランドが「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」の中で。 スクリーンに登場する彼らは、大人たちのかたくるしい価値観へ反抗する労働者の姿を映し出しました。 自由で、セクシーで、そして激しい。白いTシャツとジーンズは、 映画の中と外で見せる彼らの生き方を映し出し、時代遅れの考え方への反抗と挑戦のシンボルとなりました。

あらゆるTシャツがメディアになった/広告としてのTシャツ

デザインも簡単で、安価にプリントできるTシャツは、加工技術の発達と普及と相まり、さまざまな表現の自由を提供するキャンバスとなりました。
1960年代のアメリカでは、企業のロゴなどをプリントした広告としてのTシャツが広まり、コミュニケーションツールとなりました。 アメリカの大統領選挙において、Tシャツがはじめて選挙運動の広報ツールとして使用されたのも、この時代です。 Tシャツの白いキャンバスは、政府の、企業の、そして個人からのメッセージを伝えるメディアとなりました

グラフィックデザイナーのミルトン・グレイザーが「ビッグ・アップル」のイメージを広めるために1976年に制作した「アイ・ラブ・ニューヨーク」のロゴ。 赤いハートと黒いタイポグラフィでつくられたTシャツは、アメリカの象徴ともいえるほどメジャーな存在となりました。 このシンプルなロゴとTシャツは、世界中のみやげ品として広がったコピーの量からも、歴史上もっとも有名なTシャツと言えるでしょう。 9.11の世界貿易センタービルのテロの後、ニューヨークの路上に星条旗とともにはためいたこのTシャツは、人々の勇気と希望の象徴として、凛然と輝いていたのです。

artshirts-factory(アートシャツファクトリー)とは


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